ホテルのお姉さんは、遠いのでタクシーで行ってくださいって言ったのだけど、
すこしでも体を動かしてお腹をこなしておきたい私達、
ホテルを出て駅の地下道を使って、駅のあちら側に出て、
(駅のあちら側はバスターミナルになっています。)
googleマップで調べたバスに乗って
たどり着いた「赤崁楼」(チーカンロー)
でもバス停降りたらこちらのお店が目に飛び込んできました。
台南発祥の担仔麺
こんなところに、あの有名店の支店があったのね。と
いそいそとお店の中に入っていきました。
初めて食べた担仔麺は、
蝦出汁のスープに、ニンニクがしっかり利いた肉餡が
特徴のない麺とマッチしてとってもおいしい。
3口ほどで食べられる量も、小腹を満たすのにはちょうどいい。
さすが有名店だわって感心してたのですが、
後で調べたら、このお店はあの有名店とは関係ないそうです。
小腹を満たし終えて、再度腹ごなしに「赤崁楼」を散策します。
1. オランダ占領時代
もともとは、台南を占領したオランダ人によって建てられた赤レンガの城。
オランダの台湾統治の拠点だったそうです。
オランダ人と漢人の衝突となった『郭懷一事件』
その再発防止のため城壁が築かれたのですが、
それが「赤崁楼」のもととなったのです。
これは発掘されたお城の基礎部分。
もち米のとぎ汁に砂糖水、牡蠣の殻を灰にした物を混ぜた接合剤を使って、煉瓦を積み上げていったそう。
とぎ汁とか、砂糖水など、自然素材の接着剤で何百年ももつ強固な壁が出来上がることに、
ちょっとびっくりですね。
奥の煉瓦の階段。
ここが元の、お城の入り口です。
2.鄭一族時代
1661年、明朝の遺臣・鄭成功が台湾に攻め入りオランダ軍を追い出したのです。
鄭成功の時代になってからは、東都承天府と呼ばれ同じく行政の中心として機能していました。
因みに「国性爺合戦」をご存知でしょうか。そのモデルとなったのが鄭成功です。
彼のお母様は日本人。なんか親しみ感じますね。
明の復活をめざしていた鄭成功はまもなく病死し、息子が後を継ぐのだけど、
承天府は廃止され、「赤崁楼」は弾薬庫として活用されたてたそうです。
その息子も死去し跡を継いだ孫は1683年に清国に降伏したそうです。
鄭氏一族による台湾統治は三代23年間で終了しました。
3.清朝時代
一時は廃墟となっていた「赤崁楼」でしたが、
19世紀になって、中国式の楼閣が建てられました。
「海神廟」と「文昌閣」です。
清光緒12年(1886年)知府の沈受謙は、文教振興のため、赤嵌楼北側に蓬壺書院を建設し、同時に赤嵌楼の基礎部分を埋めて平らにし、高台に文昌閣、五子祠、海神廟を建設しました。
4.日本占領時代
日本統治下では、こちらは陸軍の病院として利用されたそう。
1944年には日本人がオランダ城塞遺跡の改修を開始。大士殿を解体、海神廟、文昌閣、蓬壺書院門庁を修築。
その後台湾になってからも改修、改築は続き今見るかたちになったそうです。
二階に上がってテラスに出ると、台南の街が見渡せます。
風が気持ちいい。
団体客が途絶えてちょっと静かになった、夕暮れの頃、
風に吹かれながら、
台南の多層的な歴史に思いを馳せるのもいいものです。